讃岐の漆器

香川県讃岐の漆器は、1638年に水戸より転封してきた松平藩主頼重の庇護をうけて盛んになったといわれています。
 香川の漆工芸は、玉楮象谷に始まります。
象谷は1808年、鞘絵師・藤川理右衛門の長男として高松に生まれ、名は敬造、号を象谷と称しました。
 象谷の遺したものには、主に藩候のために製作したものがある一方、自由に自己本来の姿を表現した、晩年の文人風の作品群があります。
これらにには素彫のもの、摺漆仕上げもの、彩漆をほどこしたものなど、雅趣ただよう佳作も多く、のちに讃岐彫、象谷塗と呼ばれて、香川漆器の源流として現代に受け継がれています。

 
蒟醤(キンマ)

あでやかでありながら、格調高いキンマ
キンマは、器物の表面に漆を塗り重ね、
キンマ剣で文様を細かく線彫りまたは点彫りします。
この刻まれた陥文に彩漆を埋め、研ぎつけ艶上げしたもので、一種の彩漆の象眼といえるでしょう。
キンマが日本にはいってきたのは室町時代のこと。讃岐では、象谷の手によって、讃岐の漆工芸として完成されました。
キンマは沈金彫りに似ていますが、彫った後に金箔を沈める沈金にたいして、キンマは彩漆を埋めて平らにします。
沈金彫りとはべつの趣で手にとる人を魅了するキンマの色と彫りの調和した美しさは、典雅な日本文化を今に伝えるものの一つです。


 

 
存清 

誇り高き色合いも美しい、絢爛豪華な漆の華
存清は、黒地、朱地、黄地などの漆面に彩漆で一種の漆絵を描き、輪郭部または漆絵の主要部を剣と称する専用の彫刻刀で線彫りし、細部に毛彫りを加えて仕上げる技法です。
わが国に存清が伝わったのは室町時代の中頃、玉楮象谷が日魔フ存清を創り上げたと伝えられております。
この技法の名称には、「存清」「存星」と両方の記録がありますが、香川では象谷が箱書きに記した「存清」がもちいられています。
この技法は香川の漆芸家たちによって受け継がれ、香川の塗りとして人々にしたしまれています。

 

 
彫漆 

限りなく繊細で、美しい彫漆。
香川の彫漆は、色漆を塗り重ねて彫るところに独特の趣があります。
彫質は、まず素地のうえに布をきせて下地をつけ、そのうえに数種の色漆を塗り重ねていきます。
たとえば赤漆を30回、黄漆を30回、緑漆を30回という具合に塗り重ね、およそ100回塗ると3ミリぐらいの厚みになります。
そして、赤色が欲しければ赤色の層まで、緑が欲しければ緑色の層までと、希望の色層まで表面を彫り下げていきます。
深さに応じて埋もれていた漆の色が表にでてきて美しい文様を描きます。
高度な彫刻技法で描く絵模様は、漆の断層と彩漆の美しさを強調したこだわりの美術工芸品として、繊細な名品が数多く生まれています。 

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