商店街の現状
全国に商店街は約18700、そのうち法人は商店街振興組合が2660、事業協同組合が1600で、残り80%近くが任意の団体です。
商店街は商圏の範囲で近隣型、地域型、広域型、超広域型と分類することができます。
中小企業庁では、1960年度からほぼ5年おきに、全国商店街実態調査を行っていますが、繁栄しているとの答えた商店街の比率は毎回減少し、95年度調査では2.7%となってしまいました。商店街のほとんどが停滞か衰退しているということになります。
この衰退の大きな要因は、お客が商店街から大型店に向かったことにあります。
商品の豊富さ・安さ、買いやすい商品の配置、駐車場の完備、多くのサービスおよび施設、エアコンの効いた快適な店舗、ワンストップショッピングの便宜性など、既存の商店街は大型店に圧倒されてきました。
小売店舗数は約150万店で、数の上では数パーセントに過ぎない大型店などの売上が全体の3分の2程度の売上をしめており、大型店問題は商店街にとっていっそう深刻になってきています。
以前は大型店出店が敵対視されましたが、今は商店街からの大型店の撤退が大きな問題ともなってきています。
大手スーパーなどの退店は商店街の中核的な店舗が多く、退店後は巨大な廃屋として残り、商店街の衰退に拍車をかけたり、環境の悪化を招いたりしてきています。
確かに、経済的効率性から見た場合、商店街の存在意義は小さくなってきているかもしれません。しかし、それで地域社会が良くなるか、地域住民にとって住み良い豊かな地域、街になるのかといったまちづくりの観点からすると大きな疑問点が浮かび上がってきます。
大型店との共存をはかって、自分の店をたたみ、大型店に入居した地元小売店が、大型店の撤退のために営業拠点を失い、従業員の雇用機会を犠牲にする事例が顕著になってきています。大手流通資本にとっては企業存続のために致し方ないのでしょうが、それにひきかえ、街が地域が犠牲になっていきます。
日本の流通政策は「流通構造の変革による効率化」と「豊かな国民生活」を目指していますが、経済のいっそうの効率化を目指すことに重点がおかれ、豊かな住み良い地域づくりの観点が希薄になりがちです。
「もの」は豊富で便利ではあっても、地域の伝統、文化、人のつながり、治安、夜の静寂さ、住むことに誇りを持てる住みよい街はどこへいってしまうのでしょうか。
商店街は地域に根ざすものだけに、地域のためにはいろいろ力を注いできました。祭りをはじめ、地域の行事にも地元商店主を中心に行われてきている町も数多くあります。住み良い街にするため、環境を整備し、防犯、防火、交通安全、福祉、PTA活動などに積極的に取り組んでいるところも多い。
ある面で、商店街は自分の商売よりも地域のことを考えて行動してきたとも言えます。それは、地域が衰退すれば、自分たちも衰退すること以上に地域を愛していたからにほかなりません。魅力ある街には魅力ある商店街の存在が不可欠なのです。
郊外にどんなに立派なショッピングセンターができても、それが都市の魅力とはいえない。都市の魅力の重要部分に優れた商店街の存在があります。
単に商業の場所というのではなく、多くの要素が複合的に結びついて、にぎわいがあり、楽しみがあり、なにより本当に活きてる情報に出会うことができる。そして、そこに住む住民だれでもが、自分の町の中心であると思える、そんな商店街をもつことが都市の魅力につながっているのではないでしょうか。
商店街はコミュニティの基盤となる存在です。町の明かりで安心感や温もりを感じ、その明るさが災害時に人々を勇気づけ、情報交換の場所として重要な役割をもつことは、先の阪神淡路大震災の時にも明らかになっています。
近い将来、四人に一人が高齢者というような社会において、自宅から車椅子でも簡単に行ける近隣型の中心商店街があり、電話一本で最寄品を届けてくれるといった優しい商店街が近くにあるということはどうしても必要なことになります。車でしか行けないような大型ショッピングセンターだけでは、人の血がかよった魅力ある街とはいえないのです。
時代はインターネットに代表されるデジタル情報社会に急速に向かっています。しかし、現実に存在する商店街は、人と人とが出会って、いろいろな商品や情報を交換するアナログ型の存在であります。
デジタル型社会において、ファッションや食べ物の情報がバーチャルショップやテレビなどでどんなに流されても、ファッションの本当の風合いや手触り感、微妙な色合いだとか食べ物にしても、最後はやっぱり現物を見なければ確かめられません。メディアがどのように発達しても、究極の生きている情報はそこにしかありません。つまり、本当に良い優れた商品を店に陳列することそれ自体が究極の情報伝達になります。それが商店街あるいは商業者の役割になります。
商品のデジタル情報が集まれば集まるほど実際に行って見たくなる。その時に見に行ってみたいという魅力を持っているかどうかが商店街が生き残れるかどうかの分かれ目になります。
一方、商店街は最大のマルチメディアでもあります。自分の店のホームページを持つ店もあればカタログ販売をすることもできる。商店街や商店の規模に応じて、多様なメディアを使い分けることもできます。この多様なメディアをどのように展開することができるかといった知恵が必要になってきます。
現在商店街が抱える大きな課題の一つに空き店舗問題があります。
空き店舗が発生すると商店街の全体としての魅力がそがれ、がんばっている店も足を引っ張られる。それで、空き店舗は商店街の衰退化する兆候とみなされます。
空き店舗をなんとかしたい。それが商店街自体の願いであり、行政もこの問題に取り掛かろうとしています。しかし、商店数が減少する傾向はまだまだ続きます。なぜなら、経営者の高齢化、後継者の不在の問題から逃れることができないのです。空き店舗がますます増えると予想している商店街はけっして少なくないのです。
そのすべてが空き店舗となるわけではないにしても、それを小売店舗やサービス店、地域施設などで埋めることはできないでしょう。
それでは、そのような時に、商店街はどのような対処を考えたらよいのでしょうか。かつてのような高度成長も地域経済の自立的なまとまりももはや期待できない。商店街の画一的な方向の追求から、多様な方向性の認知と多様な支援メニューの開発に向けて発想を転換することが重要なことに思われます。
商店街といえば、みんながみんな営業店舗密度が高い、強力に管理された商店街でなくてもよいのではないでしょうか。
商業密度はもっと分散する。このことを受けとめて、商店街を改めて商業街路、生活街路としてとらえ直すこともできます。
ショッピングセンターに擬した買物空間ばかりを目指すのではなく、商業密度の低下を受け入れながら、商店だけでなく民家を含めた様々な建物から構成される開放的な街並みの創造も魅力ある商店街のひとつの方向性でもあります。
もともと商店街は構成するメンバーの異質性が高い組織です。経営意欲も資金力も違う。
今後、商店街が多様化していくとすれば、商店街のメンバーもまたいっそう多様化し、異質化していくでしょう。
これまで全員一致、負担の平等を強調するような事業は、その実行に大きな負担がかかってきます。
みんなでできなければ、できる者だけでやる。数人の仲間でもできることはないのだろうか。それを探して、それから始める。
そうすると、商店街の組織は「ひとつの商店街のすべての共同事業を企画し、運営していく主体」ではなくなるでしょう。様々な活動を行ういろいろな仲間集団の集まりであり、連合体であるといった性格を持つようになるのではないでしょうか。ここの仲間集団はひとつひとつの事業を行う主体ではありますが、メンバーとして商店主以外の地域の人々の参加を募ってもよいでしょう。商店街が地域に根ざそうとする限り、この様な考えを検討していかなければならないでしょう。
これまで、商店街のあり方について、強力な管理による方法は様々に論議されてきています。しかし、柔軟な管理による商店街のあり方は定かではありません。
ここに、神楽坂の商店街で行われているひとつの行事をご紹介します。
「まち飛びフェスタ」と名づけられて行われるこの催しが、柔軟な管理による商店街の事業のあり方の一方向を示しているのではないかと思います。